「棋士と女流棋士の違い」について10分で語る。
(注意)
書いている人の棋力はアマチュア四段くらいで将棋歴はだいたい5年くらいです。また、あくまで「10分でわかる」という縛りで書いているので、とこどころ詳細をぼかして書いています。あらかじめご理解ください。
(棋士・女流棋士の肩書はいずれも2020年07月07日現在のものです。)
そもそも「棋士」とは何か?
高校生棋士として、将棋界の期待と注目を一身に集める藤井聡太七段。永世七冠を達成し、2018年に国民栄誉賞を受賞した羽生善治九段。「ひふみん」の愛称でバラエティー番組への出演も多い加藤一二三九段。
有名な棋士たちはメディアへの露出度も高く、将棋ファンのみならず多くの人がその存在を知っていると思います。ですが、彼らが実際に何をやっているか、というのはあまり知られていません。
そもそも「棋士」というのはどのような職業なのでしょうか?
簡単に言えば、棋士というのは将棋の対局を指すことによって生計を立てている、プロの将棋指しです。
将棋界には「棋戦」と呼ばれる、大手新聞社やインターネットメディア等が主催する将棋の大会が存在します。棋士たちは毎回開催されるこれらの大会に出場し、優勝を目指して戦い、生計を立てています。もしもその棋戦で優勝することができれば、主催者側から300万~3000万程度の賞金が授与され、大金を稼ぐことができるのです。
では、そこで優勝できなかった棋士は、一円たりとも貰うことはできないのでしょうか?
いいえ、違います。
実はこの賞金の他にも、棋士が対局をするたびに「対局料」と呼ばれる報酬が支給されており、原則としては棋戦に参加して将棋を指すだけで給料が貰える仕組みになっています。この対局料という制度は格闘技やボクシングなどにも見られるファイトマネーと同じようなもので、予選・本戦に関わらずすべての対局に対局料が発生し、ほとんどの棋士がこの対局料によって生計を立てています。
また、棋士の仕事は棋戦で対局を指すことだけに留まりません。ニコニコ生放送・AbemaTVには将棋専門のチャンネルが存在し、定期的に将棋の専門番組を放送しています。ですから、それらの番組への出演料も棋士の収入源の一部になります。
番組の種類は様々で、もっとも基本的なものは対局の中継・解説ですが、中には棋士のプライベートの側面にフォーカスしたものもあり、詰将棋を解きながらカラオケをしたり、『信長の野望』のゲーム実況をしたりとその内容はバラエティーに富んだものとなっています。
棋士・女流棋士は何が違う?
さて、対局を指してお金を稼ぐという意味では「女流棋士」も「棋士」と同じプロの将棋指しであることに変わりありません。彼女たちも棋士と同じように女流棋戦に参加し、将棋の番組やイベントに出演して生計を立てています。
では、「棋士」と「女流棋士」ではいったい何が違うのでしょうか?
医者と女医、教師と女教師のように、男性多数の職業に就く女性を「女流」と形容しているのでしょうか。それともスポーツの世界によく見られるように、男女別で競技者を分けているのでしょうか。
答えは、どちらもノーです。
実は、棋士と女流棋士は制度上では異なる職業であり、その大きな違いは「なるための条件」にあります。
棋士になるためには?
まず、棋士になるための条件から説明していきたいと思います。
棋士を目指す少年少女たちはまず「奨励会」という組織に入らなければなりません。奨励会は棋士になるための学校のようなもので、日本将棋連盟が運営している棋士養成機関に相当します。棋士の卵たちは奨励会で研鑽を積み、強くなったら卒業して晴れてプロに、という感じです。
また、奨励会は学校ですから当然「入会試験」というものがあります。受験生が現役の奨励会員と何局か指して、勝ち越すかいい勝負までいったら晴れて合格、というわけです。現役の奨励会員もプロを目指しているわけですから、合格するためにはかなりの棋力(将棋の実力)が必要になります。全国大会優勝などの実績や、最低でもアマチュア上位5%程度の棋力が無いと受かりません。ですから、まだ棋士ではないとはいえ奨励会員はかなりの天才集団ということになります。
さらに、奨励会に入ったからと言ってすぐに棋士になれるわけではありません。
奨励会には段位・級位が存在し、入会試験に合格した人は1番下の「6級」からスタートして、同期の天才たちとの競争に打ち勝って最高段位である「三段」に到達しなければいけません。
さらにさらに、三段になったからといって棋士になれるわけではなく、今度は毎年2回行われる「三段リーグ」に参加し、そこで上位2位以内の成績を上げ、棋士の最低段位である「四段」に到達しなければいけません。「三段リーグ」には奨励会での生存競争で生き延びた30名が在籍しており、その中で上位2位に入るのはまさに「天才の中の天才の中の天才」レベルの棋力を持っています。
また、三段リーグにも年齢制限が存在し、原則として満26歳の誕生日を迎えた奨励会員はそこで強制的に退会させられます。小学生で入会してから約10年間追いかけ続けた夢を、そこで諦めなければいけないのです。ですから奨励会員はつねに、年齢制限による退会の恐怖に向き合いながら将棋を指すことになります。
このように、奨励会は実力至上主義の超競争社会であり、これを突破するためには相当な努力と才能が必要とされます。そのため、仮に奨励会に入会できたとしても最後にプロになれるのはほんの一握りです。
ひとつ重要なことは、奨励会に入会し、在籍し、棋士になるまでのすべての過程において、その性別が問われることが無い、ということです。これはつまり、女性が棋士になることは制度上可能であるということを示しています。実際、現役の奨励会員にも数は少ないですが何人か女性がいますし、中には「三段リーグ」に在籍しプロ一歩手前まで来ている女性もいます。
しかし、奨励会の90年近くにわたる歴史上、女性の奨励会員が棋士になった例は一度もありません。これは、上述したように棋士になるための道が他の競技に比べてかなり険しいこと、将棋人口における女性比率の低さなどが原因とされていますが、今回の記事では詳述を避けます。
女流棋士になるためには?
次に、女流棋士になるための条件について説明していきます。
女流棋士を目指すためにはまず「研修会」と呼ばれる組織に入る必要があります。研修会は女流棋士の育成機関、および奨励会の下部組織であり、奨励会とは異なる組織体系を持つ組織です。
奨励会と同じように入会試験を受けると、SからF3クラスまでのクラスに配属され、上位昇級を目指して戦うことになります。大きく異なるのは入会試験突破に必要な棋力で、アマチュアの上位20%程度の棋力が必要とされています。平たく言えば、奨励会入会よりも研修会入会の方が難易度は低い、というわけです。
奨励会の「三段」に相当するのが研修会における「B2」です。B2に昇級した女性には女流棋士の最低級位である「女流2級」の資格が与えられ、女流棋士としてデビューすることができます。(厳密に言うと違うのですが、細かすぎるのでそういうことにしておきます。)
以上が、女流棋士になるための条件です。
ここまで読むと「ひょっとして、女流棋士って棋士よりも楽な商売なのでは?」と思われる方もいるのではないでしょうか。
確かに、女流棋士に必要な棋力は、棋士に必要な棋力に比べると低いです。
ただ、「楽な商売」というのは少し間違っています。
まず、そもそも将棋界自体が男性多数の世界であることから、マイノリティーである女性が棋力を向上させていくことはそもそも難しいです。また、「女流棋士になるために必要な棋力は低い」と言っても、大半のアマチュアよりは圧倒的に棋力は高いですし、女流棋士は棋士と比べて対局数が少ない(対局料も少ない)ので、対局のみで生計を立てるためにはそれ以上の棋力が必要になってきます。さらに言えば、ある程度の実力や実績が無いとイベントや番組に呼ばれにくいので、やっぱり女流棋士として稼ぐためには棋力が重要、という話になってきます。
ただ現実として、女流棋士の棋力は、棋士の平均的な棋力に比べると低いというのは事実です。
棋士・女流棋士の棋力差はどれくらい?
では実際に、棋士と女流棋士、あるいは奨励会員、アマチュア棋士間の棋力差というのは、どれくらいのものなのでしょうか。
これに関しては、客観的な数値を示してくれるとても便利なサイトがあります。
このサイトは、アマチュア有志の方が運営されている非公式のレーティングサイトであり、2001年ごろからの全対局結果に基づいたイロレーティングを算出しています。
ではまず、トップ棋士のレーティングはどれくらいなのか。
「そもそもトップ棋士とはどれくらいまでを言うのか?」「デビュー間もないの若手は必然的にレーティングが低くなるが、それでもいいのか?」など色々問題はありそうですが、トップ棋士=レーティング上位20名までと仮定すると、その数値はだいたい1730~2000程度になると言えます。
では、女流棋士・奨励会員・アマチュア棋士のトップのレーティングはどれくらいなのでしょうか。
これをまとめると、以下のようになります。
トップ棋士 1730~2000
奨励会員(ほぼ三段) 1506
トップ女流棋士 1428
アマチュア強豪 1405 (2020年07月07日現在)
平均的なレーティングではなく「トップ」や「強豪」のレーティングになっているのは、そもそも棋士と対局できる(=棋戦に出場できる)ような女流棋士・奨励会員・アマチュアは、各アマチュア大会・女流棋戦・三段リーグ等で好成績を収めた上位層に限られているからです。
また、イロレーティングではこれらの値に基づいて期待勝率が算出できる(詳しくはイロレーティング - Wikipedia)ので、これを計算してみると、
となっています。
こうして見ると、女流棋士でもトップ層は奨励会有段者にかなり肉薄した棋力を持っている一方、トップ棋士との差はかなり開いているようです。
私も一ファンとして5年ほど将棋界を追いかけていますが、その体感からしてもこの数字にはなんとなく納得がいきます。
また、トップ棋士ではなくあくまで平均的な棋士に限定すれば、トップ女流棋士は彼らに引けをとらない棋力を有しているように思います。
実際、現役の奨励会三段である西山朋佳女流三冠は、今年度の竜王戦(将棋界でもっとも序列の高い棋戦)の予選で棋士相手に4連勝し、本戦まであと2勝というところまで勝ち進みましたし、過去に女流六冠を達成した里見香奈女流四冠も現役棋士を相手に好成績を収め、「プロ編入試験」という特別制度の受験資格を獲得しています。
まとめ
この記事では、棋士と女流棋士の違いについて簡単に説明しました。
「10分でわかる」という縛りがあるので色々と詳説したい部分(棋士・女流棋士が取り組んでいる将棋の普及活動だったり、将棋界に伝統的に存続する師弟制度だったり)をカットしてしまいましたが、その違いについてなんとなくでも分かっていただけたら幸いです。
また、制度については私も日本将棋連盟のサイト等で確認したのですが、奨励会や女流棋士の雰囲気なんかは割とファン目線のイメージで語っている部分もあるので、本当に興味がある方は詳しい本を買って読んでください。
ちなみに個人的なお勧めは、大崎善生先生の『将棋の子』(講談社文庫)、香川愛生女流三段の『職業、女流棋士』(マイナビ新書)です。
まとめると、
- 棋士・女流棋士は棋戦への参加や将棋番組への出演によって生計を立てる職業。
- 原則として、棋士は奨励会を、女流棋士は研修会のB2を突破する必要があり、要求される棋力は棋士の方が高い。だからといって、女流棋士が「楽な商売」というわけではない。
- ざっくりとした棋力は、トップ棋士>>>>奨励会三段>トップ女流棋士>アマチュア強豪の順だが、平均的な棋士に限れば女流棋士の棋力はこれに肉薄している。
となります。
また、女流棋士界を舞台として漫画作品『永世乙女の戦い方』の解説を近日中に記事にしようと思っているので、よければそちらもご覧ください。
では、終わります。
将棋はいいぞ。